武術研究者 甲野善紀先生と気鋭の若手独立研究者である森田真生先生が、 武術や身体、 数学を通じて学び方と生き方等について対談する場で, これまで全国各地で開催され大好評を博しています。
学校(school)ということばは古代ギリシア語のスコレー( schole) ということばを起源にもつ。スコレーとは、 古代ギリシアや古代ローマの市民が、音楽や芝居、 議論を楽しんだり、スポーツを嗜んだりした暇な時間、 あるいはその暇つぶしをした場所そのものを意味する。 このスコレーということばは、現在の「学校」 ということばが持つ語感よりも、 はるかに本来の学問のあるべき姿と近しい関係にあることばではな いだろうか。
何か与えられたカリキュラムがあって、 一方的に先生から与えられた知識を吸収していくというのではなく 、主体的に集まった人々が、 それぞれの関心にしたがって何かを調べたり、 何かを楽しんだりする。そこには決められた課題も、 与えられた研究目標もなく、それぞれがそれぞれの「 そのときの課題」を発見し、それを追求していく。 スコレーということばが喚起する、そうした「学び」 の光景に惹かれて、僕はあえて「学校」 という表現を採用することに拘った。
関心の芽生えた瞬間がスコレーのはじまりであり、 探究が次なる関心へと移っていったときにはそれまでのスコレーを 身軽に離れて、次なるスコレーをはじめていく。 そのときそのときのスコレーがあるのであって、 今日のスコレーが明日もある必要は必ずしもない。
「この日の学校」ということばには、 そんな意味が込められている。
この日、この日の学校があるだけであると考えてみると、○○ 大学に所属していることだとか、○○ 高校というブランドなどということがいかに無意味であるかという ことが実感されてくるのではないだろうか。
毎日、「それでは、この日の学校をはじめます。」 そんな号令ではじまる学校があったとしたら、 素敵だとは思わないだろうか。> >
今回も、甲野善紀先生、森田真生先生とも交流があり、 甲野先生からは「武における一番の盟友」とも評される、 日本韓氏意拳学会会長の光岡英稔先生を迎え、更なる討議、 学びの場を提供できる事となりました。(「この日の学校 in 弘前」より転用)